旅々たびたび
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熊本城
 
水前寺公園
馬肉料理 熊本ラーメン
路面電車
 1:水前寺成趣園
 2:馬肉料理
 3:熊本ラーメン
 4:街中を走る路面電車
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[アクセス]
羽田空港→(飛行機:約1時間30分)→熊本空港→(リムジンバス:約45分)→JR熊本駅前→(徒歩:約7分)→黒亭→(徒歩:約5分)→市電・二本木口駅→(市電:約35分)→水前寺公園駅→(徒歩:約5分)→水前寺公園
市電・水前寺公園駅→(市電:約15分)→熊本城前駅→(徒歩:約10分)→熊本城→(徒歩:約15分)→らむ(馬肉店)
[関連サイト]
■熊本県観光総合サイト
熊本県観光連盟運営
■熊本城公式HP
■水前寺成趣園公式HP
■黒亭(熊本ラーメン)
熊本市二本木2-1-23
TEL:096-352-1648
■らむ(馬刺・焼肉)
熊本市花畑町13-23 花畑ビル1F
TEL:096-322-9500
[旅行手配内容]
ANA超割(ANAサイト)宿泊(じゃらん):約50,000円(2泊3日)
※翌日の鹿児島含む全費用
熊本方面の名物

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ANAの「超割」で片道8,500円でゲットした格安チケットで熊本へ向かった。二度目の熊本入り。羽田を30分遅れて飛び立った飛行機は、昼の1時過ぎに熊本空港へ着いた。

空港から市内へ向かうバスの窓から予定していた時間のバスは当然いなかったが、次のバスはすぐにやって来た。終点の熊本駅まで45分程で行くリムジンバス。時刻表にはないヘンテコな時間に急ぎ足で熊本市内へ向け走り出した。窓の外はあいにくの曇り模様。ビニールハウスや畑の向こうに100メートル程の低い山並みがモコモコ続いているのが見える。

満席だった乗客のほとんどは、市内の中心部でどっと降りた。ホテルが集中しているのであろう。窓の外には熊本城の姿。さらに10分近く走ると、薄いグレーで表彰台みたいな形をした熊本駅が見えた。なんだか絵本に出てきそうなカワイイ駅。

時計を見ると既に2時前。おなかはもう限界…。急いで向かったのは、駅から7分ほどの所にあるらしい熊本ラーメンの人気店「黒亭(こくてい)」。ところが、地図の見方を誤り、とんでもない方向へ歩いてしまった。そう、僕は地図が正しく読めない珍しい男なのだ…。(笑)

途中で間違いに気づき、やっとの思いで辿り着いた黒亭には、2時30分頃にも関わらず行列ができている。道に迷ったことを猛烈に悔やみながら、そのまま行列の一部となった。15分程待ち、ようやく店内に入る。厨房では5〜6人のおかあさん達が元気にラーメンをこしらえていた。店内は20人以上入っているだろうか。

やっと目の前にチャーシューメンが現れた。博多ラーメンは、福岡や東京で何度も食べたことがあるが、熊本ラーメンは初めて。まずは、つるつると、やや細めの麺を頂く。うまい………。次に、スープをレンゲでズズッ…。こりゃまたうまい。博多ラーメンよりもあっさりしており、それでいてまろやかな深みのある味わいで絶妙なうまさ。薄くきれいに並んだチャーシューも見た目以上にうまい。まいった。

店を出て最寄り駅の市電の「二本木口駅」に着くまで、うまくて笑いが止まらなかった。駅に着くとすぐに電車が走りこんできた。方向は合ってそうだったので行先も確認せずそのまま飛び乗った。信号でとまった時に運転手さんから一日乗車券を500円で買い、観光名所である旧熊本藩主、細川氏の庭「水前寺成趣園(水前寺公園)」で降りることにした。

1632年に加藤家の後(加藤清正死去。2代忠広時に加藤家断絶)を受けて豊前小倉から熊本城に入ったのが戦国武将、細川忠興(父は細川幽斎。正室は明智光秀の娘、細川ガラシャ)の三男「細川忠利」。1620年に、忠興より家督を譲られる。その後明治維新を迎えるまで熊本(当時の肥後国)は細川氏の治下にあった。元内閣総理大臣(79代)の細川護煕氏は、細川家の18代当主。元熊本県知事(約9年間)でもあった。

水前寺公園ガタンゴトン。さっきバスで通ってきた道をそのままなぞるように、熊本市の繁華街を走る。約35分で水前寺公園駅に着いた。そこから5分程歩いたところに水前寺公園はあった。松や芝生の緑が実にきれいな公園で、大きな鯉が泳ぐ池の水が透き通るようにきれいなのに驚いた。聞くと阿蘇の湧き水を利用した池なのだそうな。庭を見ながらお茶を頂ける古今伝授の間で、少しくつろいだ。

もっとゆっくりしていたかったが、飛行機の30分の遅れと道に30分近く迷った影響を受け、そうもしておれず、急いで市電に乗り込んだ。行先は熊本城。夕方5時30(11月から3月は4時30分)までが開園時間のため、急ぐ必要があるのだ。一両編成の小さな電車には駅で止まるたびに人が乗ってきて、東京の朝の通勤ラッシュ並にグッチャグチャ…。各駅ごとに「降りま〜す!」と大きな声が車内に響き渡った。もしかして、いつもこうなのだろうか…。乗れなかった客がおもしろがって写メールを撮っていたぐらいだ。(笑)

そんなギュウギュウ電車を熊本城前駅で降り、熊本城までテクテク歩いた。あと30分程で閉園のためか、武士の格好をした門番役のアルバイトの若者が係りの人に「もういいよ〜」っと言われ、やれやれと、お疲れモードで帰るとこであった…。見えなくなるまでは武士らしい姿でいてほしかった…。(笑)

熊本城の築城(1601年)主の加藤清正は、石田三成や大谷吉継らと共に豊臣秀吉が育てた武将の一人。賤ヶ岳七本槍の一人でもあり、後に肥後熊本藩主となった名将。築城の名手としても知られている。名古屋城、大阪城と共に、日本三名城の一つに数えられている城だが、その根拠は分からない…。(笑)

実は前の週に高知城と松山城を見ていたので、正直なところ軽く見る程度でいいかなと思っていた。ところが、熊本城を目の前にするとそんな軽い気持ちは一気に吹っ飛んだ…。恐ろしくカッコイイ。白と黒のコントラストが実に迫力がありエネルギーに満ちている。美しく沿った石垣もお見事。しばらく本丸の下の広場あたりから見上げて堪能した。これはすごい城だ。感動。
熊本城

1960年に再建された天守閣。築城当時の写実的な絵が天守閣内にあったが、それと比べるとかなりカッコ良く変身したような印象を受けたのは黒壁の色のせいだろう。当時のものは黒壁がかなり薄茶色に変色していたのだ。黒壁の黒がビシッと効いた感じが熊本城の大きな魅力だから。外観はかなり忠実に再建されていた。

天守閣内が、近代的な博物館になっていたのは残念であった。せっかくなら城の内部もちゃんと再現されているとさらに素晴らしいのだが、そうはできないものなのか…。天守閣からは熊本市内をぐるりと一望できた。熊本城には現存している櫓もある。宇土櫓と呼ばれる、3層5階の櫓がその内の一つ。

開園時間ギリギリに熊本城を出てそのまま繁華街の花畑町あたりへ歩いていった。さすがに人口約67万人の大きな街。なかなかの賑わいである。我が故郷の愛媛松山にもよく似ている。向かったのは、現地の(ま)さんと待ち合わせた、馬刺し・馬肉焼肉の店「らむ」。熊本の馬の美味しさは、度々聞かされており、いつかやりたいと思っていた。

キンと冷えたビールで再会を祝し、早速霜降りの馬刺しを生姜醤油につけて頂くと舌の上でとろけた…。芋焼酎をロックでやりたくなるような味だ。次に、納豆と馬肉を混ぜた「桜なっとう」というこの店オリジナルの料理をやるが、納豆が苦手な僕は、やはり苦手であった…。(笑)すみません…。

そして見事な色をした馬肉と一緒に出てきたのはジンギスカン鍋。それに馬肉を乗っけて赤味が少し残るくらいに焼くのがいいと教わり、そのように焼いてちょいと食べてみる。うまい!!!馬肉と一緒に焼いたニラも馬肉を引き立ていい仕事をしている。うまい、うまいと箸が軽快に進んだ。
馬刺し 馬のレバー刺し 馬の焼肉

生ビールから芋焼酎のロックに切り替え、コリコリした心臓の根と、高根という白いチーズのようなものを楽しんだ。我が人生でこんなに馬肉を食べたのは、もちろん初めて。昼に食べた熊本ラーメン同様に熊本の食力を思い知らされ、笑顔が自然とこぼれるのであった。いや〜ウマかった。

その日の夜の遅い便で熊本を後にした。新八代駅で乗り換え、初めて乗った九州新幹線「つばめ」が快適で素晴らしかった。窓の外は残念ながら真っ暗。しかし、わずか45分程で、ネオンが輝く鹿児島の街並みが窓の外に迫ってきた。

(06年10月:旅々旅人)
 
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