|
|
 |
|
|
|
このページを君が知る頃、多分君は小学生になっているかな。何故このページをお父さんが作ったか君は大いに疑問を感じるだろう。このページは、お父さんが君に伝えたい大事なことをこれからずっと記録して君にいつか見てもらいたいから作ることにしたんだ。
実はお父さんには両親がいない。いや、いなくなったという方が正しい。お父さんの両親は、お父さんが1歳の時に離婚したんだ。お父さんの父親はそれ以来どこかへ行ってしまい会っていない。だから当然母親に育てられたかというとそうではない。母親は離婚間もなく、お父さんを連れて高知から愛媛に引越し、しばらくしてお父さんを乳児院と呼ばれる施設に預けこれまたどこかへ行っちゃった…。まいっちゃうね。(笑)
2歳の頃、お父さんは乳児院から自動的に養護施設に移された。そこは2歳から18歳まで70人ぐらいの子供がいてなかなか楽しいところだったけど厳しくもあった。理不尽に金属バットで殴られたことも何度かあるし、それ以上の虐待を受けている場面も何度か目撃した。ちなみにこういうのは躾ではなくただの暴力でマイナスばかり残る。そして学校では親無しということで時々いじめられることもあった。でもスポーツや美術、音楽が得意で周りから一目置かれるようになってからはいじめも無くなった。いじめなんてそんなもんさ。でも他は今ひとつだったことも白状しておこう。(笑)
小学1年生から4年生くらいまでは、必ずいつか両親が迎えに来てくれると思っていた。これはお父さんに限らず全員の子供がそう。最も親を必要とした年頃なんだね。他の子供は次々と親が迎えに来る中、お父さんの両親は待てど暮らせど現れることはなかった。そして小学5年生の頃、お父さんは親に捨てられたという事実を自分なりに悟った。それからはいなくても別にいい。それがどうした。僕は僕なんだと、思うようになった。
母親がちゃんと目の前に現れたのは、なんとお父さんが高校1年生の頃。1歳の時に別れているからこの時に初めて会ったようなもんだ。現れてはくれたけど一緒に生活することはできなかった。当時は残念ながら親と認められなかった…。(親と認めることができ生んでくれたことを感謝できるようになったのは20歳頃で2年程かかった)だからお父さんは高校を卒業するまでずっと養護施設にいた。つまりお父さんは自分の両親とちゃんと生活をしたことがない。でもね、教わったことはある。それは家族を大切にすること。このことを自分の両親から学んだ。
お父さんの母親は、彼女が55歳の時に脳卒中で亡くなった。芸者やら料亭で働いていた美しい人。君の顔はお父さんの母親に一番よく似ている。その後、それまで死んだと聞かされていた父親が生きていることを知り、どこに住んでいるかも分かってしまった。戸籍謄本を取り寄せれば簡単に分かるんだ。アパートが見える所まで行ったことがあるけど、ドアはノックできなかった…。父親にとっては過去に捨てた子供。そしてドアをノックすることで再び接点が生まれてしまう。それは君のお母さん、そして君にも影響が及ぶと思ったから。自分の子供を捨てる人は基本的に善人であるハズがない。悪い接点を作ってはいけない。家族を大切にするということはそういうことも含むものとお父さんは思うから。お父さんが独身だったら確実にドアをノックしていた。
しかし接点が生まれたものもある。母親の葬式の時に見知らぬ2人の青年がいたんだけど、紹介される前に弟だと思った。あまりにも似すぎていたから。その2人が実は東京にいたことには驚いた。母親の葬式でそれぞれ東京に住んでいた兄弟が愛媛で顔を合わせることになるとはね。2人とも誠実な青年だったのでよかった。嬉しい接点だったと思ってる。その後、2人とも結婚をしたけど結婚式に招待されることはなかった。つまりそういう関係だ。分かる?君が会うことはないと思う。
いつかお父さんの両親のことや生い立ちについて疑問を持つだろうと思うので、ここに書いておく。 |
▲上に戻る |
| 【5】自分の夢のために今日何をやる?(08.3.5) |
●お父さん自身も常に心がけていること。
夢のためには今日、やるべきことをやっておくことが大切。
そして夢は必ず叶う。叶うとまた新たな夢ができるものだけどね。
お父さんも夢だった自分の会社を作ることに頑張ってた時期(20代前半)があったけど、作ったらまた別の夢ができたんだ。今はそれを自分なりに頑張っている。
|
|
▲上に戻る |
| 【4】最後は自分で決めること。(08.3.4) |
●お父さんもそうだけど、君もこれから沢山考えて決めなければいけないことがあると思う。その時にいろいろな人の意見を聞くのは大切だけど、最終的には自分で決めることがもっと大切なんだ。それは自分の人生だから。
そして自分がやりたいことをやるのが人生だから。(もちろんルールは守らなきゃいけないと思う)
失敗してもいいじゃん。またやり直せばいいんだから。
お父さんは高校卒業後、東京に出てある職業につきたいと思い、それまでほとんど接点のなかった母親や東京にいた親戚に話をしたらなぜか猛反対されたんだ。「お前には無理だって…」挑戦もしないで無理はないだろうと、思った。(笑)これは未だに理解できない。その時に彼らの言う事を聞いて自分の気持ちを殺していたら一生後悔してただろうね。でもその時、お父さんは自分で決めた。どんなことがあっても東京へ出る。そして自分のやりたいことをやるんだって。不安に押しつぶされそうになったことは何十回もあった。うつ病にもなり死と向き合うこともあったけどなんとか乗り越えられた。
|
|
▲上に戻る |
| 【3】君のお母さん。(08.3.4) |
●君のお母さんは、お父さんが今まで出会った人間の中で最も誠実な人。
そして大切なことがちゃんと分かっている人。
お父さんが一生一緒に暮らしたいと思ってプロポーズした人だ。
一緒に大切にしような。
|
|
▲上に戻る |
| 【2】いいねー!(08.2.29) |
●君が初めて口にした言葉は、「いいねー!」
もっと他になかったのかい!(笑)たしか2歳になりたての頃。そして2歳の内に、パパやママではなく「おとうさん」、「おかあさん」とちゃんと呼んでくれるようになったのは嬉しかったよ。ありがとう。
●ちなみに右の靴は君が始めて履いた靴。(ファーストシューズ)
●君は4歳になる前に、あいうえお、カタカナ、アルファベット、数字(1〜1000くらい)や簡単な漢字(海や富士山など)を覚えたので驚いた。そして3歳のときに鼻歌を覚えていたのが実にユニークだった。機嫌がいい時、ソファーに座り鼻歌を歌いながら数字を1から1000くらいまで順番にホワイトボードに延々と書いていた。
|
|
▲上に戻る |
| 【1】2004年7月24日午後2時10分。(08.2.1) |
●君が生まれたのは、2004年7月24日の午後2時10分。体重は3845グラム。天気は晴れ。東京の北区、東十条3-2-11にあった東十条病院だ。自分が生まれた病院を君が大人になっても見られるように大きな病院を選んだんだけど2007年になくなっちゃったよ。君はお母さんが二日間寝ずに苦しみ、帝王切開で生まれたんだ。
あん時はね、医者や看護婦さんも何故か「帝王切開はやめておいた方がいい」みたいな言い方で当然のように自然分娩を薦めてきたけど、お母さんは苦しさの中、冷静に判断して母子共に安全な確立の高い帝王切開を選んだんだ。(ちょうどその頃、知り合いの方が二人も自然分娩で亡くなったこともあってね)
お父さんもずっと側にいてそうして欲しかったんだけど、この判断は偉かったと思う。この時最も優先すべきことは自然な形での出産ではなく、母子の安全だったからね。そのおかげで君が無事に生まれお母さんも無事だったんだ。2日間も寝ていない状況では相当身体が弱っていたと思う。君が手術室から看護婦さんに抱かれて出てきたのをおばあちゃん(君のお母さんの母親)と一緒に迎えたんだ。当然嬉しかったし、何より健康で生まれてきてくれて安心したよ。君もお母さんも無事でとにかく良かった。
|
|
▲上に戻る |
| <<ホームに戻る <<前のページに戻る |
 |
| Copyright(c)tabitabi.All rights reserved. |